WBC世界バンタム級王座決定戦、
王者・薬師寺保栄vs暫定王者・辰吉丈一郎。
壮絶なる殴り合いは判定にまでもつれ込んだ。
結果は2対0で薬師寺の勝利。
しかし、これには疑問が残る。
どう見ても薬師寺の勝利であったからだ。
ジャッジの採点を見てみよう。
浦谷が115対114で薬師寺。
森田が114対114で引き分け。
キャステラのが116対112で薬師寺。
森田が引き分け?
浦谷も1ポイント差しかつけていない。
なぜだ。
当時、全日本ボクシング協会の会長を務めていたファイティング原田は、「僕の採点では4ポイント差で薬師寺君が勝っていると見ましたけどね」と答えている。
当然だ。
この試合は、どう見ても薬師寺が勝っていた。
薬師寺の所属する松田ジムと、辰吉が所属する大阪帝拳ジム。
名古屋にある小さなジム(松田ジム)と、世界にネットワークを持つ帝拳ジムでは政治的権力が違う。
この試合、どんな内容であれ判定にまでもつれ込んだなら辰吉が有利になるのではないかと思われていた。
松田会長は、「試合を名古屋に持ってこれたのが大きかったですわ。もし、同じファイトを大阪でやっとったら、違う結果になっていたでしょう。それにしても、ドローってつけたジャッジには耳を疑いましたわ…。欲を言えば、ヤス(薬師寺)はあれだけパンチを当てていたんだから、KOはできんでも、一度くらいはダウンを奪わなあかん。もし、辰吉がダウンしたら集中力もきれてしまっただろうし、あっさり決まっていたかもしれんでしょう」と言った。
そうなのだ。
もし、この試合が大阪帝拳が主宰する形で大阪開催となっていたら、(同じ内容であれば)辰吉の勝利となっていたかもしれない。
ジャッジの浦谷はラウンドマストシステム(どちらかに優劣を決める採点方法)であったにも関わらず、最終回に10対10とドローにしていた。
ちなみに最終回、残り2人のジャッジは10対9で辰吉にポイントをつけた。
浦谷が同様に10対9で辰吉にポイントを入れたのであれば、この試合の結果は引き分けとなる。
浦谷はどうして最終回の採点をドローにしたのか。
どうあっても、この試合を引き分けにするわけにはいかないと思ったのではないだろうか。
辰吉は負けた。
試合前、徹底した薬師寺叩きをしてきたが、この態度を一変させ、薬師寺の勝利を素直に讃えた。
辰吉は悔しがった。
もちろん薬師寺に負けたということが大きい。
しかし、それ以上に悔しいことがあったのだとすれば、
それは辰吉が理想とするボクシングをリング上で表現できなかったことにある。
辰吉は、自身のボクシングを「作品」と言い続けてきた。
作品を完成させる。
辰吉丈一郎というアーティストが、ボクシングの試合において誰も生み出すことのできない作品を創造する。
網膜剥離になってもボクシングがやめられなかったのは、この作品がまだ未完であったから。
試合後、辰吉は「ボクシングマガジン」の取材にてこう語っている。
「僕の試合は勝ち負けじゃないんですよね。商品なんですよ、辰吉丈一郎という。その商品をお客さんに見せる。それを見た客がどのくらい喜んでくれるか、そこに存在価値があるんです。そういう意味では、この間の試合は完成どころか土台そのものが出ていなかった。非常にお客さんに悪いことをしてしまった。いわば不完全な商品をお見せしてしまったわけだからね。これは申し訳ない」
「プラモデルでも何でも、ある程度の形ができていて、それを組み立てればできあがりというのではおもしろみがない。作ってる方も見てる方もね。未完成のものを、土台がないようなところから作っていくのがいいんですよ。そのドラマの中でも、つねに辰吉いうのがすべてエエ方向に行ったんではおもしろくない。いつも、辰吉はこんなもんじゃない、辰吉はすごいよ、という期待を持たせていく。次こそはちゃんとした作品を見せてくれるという期待をつなぐ。一回や二回ですぐできる作品やったら、もう引退してるだろうね。だから、これは決して挫折とか躓きとかではなく、むしろ運がいいというように解釈してほしいですね。僕自身がそんな自分の人生を楽しんでますからね。まわりから見れば波乱万丈に映るんでしょうが、自分では苦労してるとか思わんからね。いろいろあってこその人生でしょう。これでこそ生まれてきた甲斐があるというものですよ。人から注目され、期待もされる。男としては最高ですよね」
ボクシング中毒。
やめられない。
それは実態のない幻を追いかけるように。
作品、
永遠にたどり着くことができない場所。
どこまでも、どこまでも、
果てしなく続く道のり。
あれから20年以上たった今も、
辰吉はまだ幻を追いかけているのだろうか。
王者・薬師寺保栄vs暫定王者・辰吉丈一郎。
壮絶なる殴り合いは判定にまでもつれ込んだ。
結果は2対0で薬師寺の勝利。
しかし、これには疑問が残る。
どう見ても薬師寺の勝利であったからだ。
ジャッジの採点を見てみよう。
浦谷が115対114で薬師寺。
森田が114対114で引き分け。
キャステラのが116対112で薬師寺。
森田が引き分け?
浦谷も1ポイント差しかつけていない。
なぜだ。
当時、全日本ボクシング協会の会長を務めていたファイティング原田は、「僕の採点では4ポイント差で薬師寺君が勝っていると見ましたけどね」と答えている。
当然だ。
この試合は、どう見ても薬師寺が勝っていた。
薬師寺の所属する松田ジムと、辰吉が所属する大阪帝拳ジム。
名古屋にある小さなジム(松田ジム)と、世界にネットワークを持つ帝拳ジムでは政治的権力が違う。
この試合、どんな内容であれ判定にまでもつれ込んだなら辰吉が有利になるのではないかと思われていた。
松田会長は、「試合を名古屋に持ってこれたのが大きかったですわ。もし、同じファイトを大阪でやっとったら、違う結果になっていたでしょう。それにしても、ドローってつけたジャッジには耳を疑いましたわ…。欲を言えば、ヤス(薬師寺)はあれだけパンチを当てていたんだから、KOはできんでも、一度くらいはダウンを奪わなあかん。もし、辰吉がダウンしたら集中力もきれてしまっただろうし、あっさり決まっていたかもしれんでしょう」と言った。
そうなのだ。
もし、この試合が大阪帝拳が主宰する形で大阪開催となっていたら、(同じ内容であれば)辰吉の勝利となっていたかもしれない。
ジャッジの浦谷はラウンドマストシステム(どちらかに優劣を決める採点方法)であったにも関わらず、最終回に10対10とドローにしていた。
ちなみに最終回、残り2人のジャッジは10対9で辰吉にポイントをつけた。
浦谷が同様に10対9で辰吉にポイントを入れたのであれば、この試合の結果は引き分けとなる。
浦谷はどうして最終回の採点をドローにしたのか。
どうあっても、この試合を引き分けにするわけにはいかないと思ったのではないだろうか。
辰吉は負けた。
試合前、徹底した薬師寺叩きをしてきたが、この態度を一変させ、薬師寺の勝利を素直に讃えた。
辰吉は悔しがった。
もちろん薬師寺に負けたということが大きい。
しかし、それ以上に悔しいことがあったのだとすれば、
それは辰吉が理想とするボクシングをリング上で表現できなかったことにある。
辰吉は、自身のボクシングを「作品」と言い続けてきた。
作品を完成させる。
辰吉丈一郎というアーティストが、ボクシングの試合において誰も生み出すことのできない作品を創造する。
網膜剥離になってもボクシングがやめられなかったのは、この作品がまだ未完であったから。
試合後、辰吉は「ボクシングマガジン」の取材にてこう語っている。
「僕の試合は勝ち負けじゃないんですよね。商品なんですよ、辰吉丈一郎という。その商品をお客さんに見せる。それを見た客がどのくらい喜んでくれるか、そこに存在価値があるんです。そういう意味では、この間の試合は完成どころか土台そのものが出ていなかった。非常にお客さんに悪いことをしてしまった。いわば不完全な商品をお見せしてしまったわけだからね。これは申し訳ない」
「プラモデルでも何でも、ある程度の形ができていて、それを組み立てればできあがりというのではおもしろみがない。作ってる方も見てる方もね。未完成のものを、土台がないようなところから作っていくのがいいんですよ。そのドラマの中でも、つねに辰吉いうのがすべてエエ方向に行ったんではおもしろくない。いつも、辰吉はこんなもんじゃない、辰吉はすごいよ、という期待を持たせていく。次こそはちゃんとした作品を見せてくれるという期待をつなぐ。一回や二回ですぐできる作品やったら、もう引退してるだろうね。だから、これは決して挫折とか躓きとかではなく、むしろ運がいいというように解釈してほしいですね。僕自身がそんな自分の人生を楽しんでますからね。まわりから見れば波乱万丈に映るんでしょうが、自分では苦労してるとか思わんからね。いろいろあってこその人生でしょう。これでこそ生まれてきた甲斐があるというものですよ。人から注目され、期待もされる。男としては最高ですよね」
ボクシング中毒。
やめられない。
それは実態のない幻を追いかけるように。
作品、
永遠にたどり着くことができない場所。
どこまでも、どこまでも、
果てしなく続く道のり。
あれから20年以上たった今も、
辰吉はまだ幻を追いかけているのだろうか。
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