マンガ「北斗の拳」。
登場人物のトキが残した名言がある。
「激流を制するは静水」
以下、ニコニコ大百科から引用させていただく。
意味としては「柔よく剛を制す(柔らかくしなやかなものが、かえって強く固いものを制する。転じて、弱い者が強い者に勝つこと)」とほぼ同様。
激流に対し逆らっても飲み込まれる。よって逆に同化することにより、激流に打ち勝つという考え。
ラオウの拳が「剛の拳」にであるのに対し、トキの拳は「柔の拳」である。ただ、元々トキは柔の拳ではなく剛の拳を目指していた。これらの詳細に関しては「トキ(北斗の拳)」を参考にしてもらいたい。
整体のお客様から、「とにかく強く押してくれ」というリクエストをいただく場合がある。
思いっきり力を込めて、グイグイと押していってもなかなか満足していただけない。
こういう場合、どうするか?
この答えが、この言葉の中にある。
結論から言うが、反対に思いっきり力を抜いてしまうのだ。
鉄板のように凝り固まった、とにかく固い背中。
これを力で押していったとしても、実際には思ったほどの力は伝わっていかないもの。
腕力だけでの勝負では、人間の持つ潜在能力を最大限に発揮するということができない。
固い背中に対して、ふわふわの羽毛布団のような柔らかなイメージを持つ。
そして背中にタッチする瞬間、触れるか触れないか、繊細な世界をイメージする。
全身の力を抜いて、脱力の状態をキープしたまま、指を静かに沈めていく。
静かにゆっくりと、自分の押した力が背中の奥へと浸透していくように…。
こうすれば力をしっかりと加えていくことができる。
強く押してくれと望んでいるお客様の満足というものに近づけていくことができる。
少なくとも力だけで勝負している時よりは、はるかに高い効果が期待できるのだ。
イチロー選手の振り子打法。
こういう観点で見てみたら、どう感じるだろうか。
これこそ脱力の究極ではないかと思う。
自らの力は使わない。
自分の力ではなく、振り子、遠心力を味方につける。
脱力をしたままの状態を最後までキープしていられるからこそ、打球を最後の最後まで引きつけることができる。
そしてバットを振り抜いた直後から、1塁ベースまでのダッシュにおいて全速力でのスタートをきることができるのだ。
イチロー選手だけに限らず、ホームランを打った打者のスイングを見ていて感じることがある。
そこには力みがないのだということ。
力を込めて、力づくで、こういった印象はなく、簡単にバットを軽く振っているだけのように見える。
軽く振っているだけにも関わらず、打球はスタンドまで届いてしまう。
力を伝えるということは、こういうことではないだろうか。
私もこれについては研究中だ。
自分の理論に、これを加えたいと思って研究している。
他のジャンルの競技の選手の話なども聞いてみると、非常に興味深い。
格闘技の場合、関節技というものがある。
力で抵抗しようとすると、どんどんと関節が極まっていってしまう。
反対に脱力をする。
身体がコンニャクになったかのようなイメージで力を抜いてしまうと、不思議なことに関節は極まらなくなってくる。
ボクサーも同じ。
力が入っている時にパンチをもらうと、衝撃が思いっきり身体を襲うことになる。
ボクシングで言うカウンターというものが、これに当たる。
だから簡単に倒れてしまうのだ。
反対に脱力していれば、パンチの衝撃が身体にこもらないためダメージを軽くさせることができる。
バスケットボール界の神様、マイケル・ジョーダン。
ジョーダンがダンクを決める瞬間、舌を出している映像がある。
舌を出せるということは、身体の脱力ができているということだ。
プレー中に、きちんと力が抜けている。
人類最速の男、ボルトもそうだろう。
走っている最中、明らかに力が抜けている。
脱力ができる人間は強い。
これはスポーツだけに限ったことではない。
あらゆることに言えることである。
これについては、また機会があればもっと掘り下げてお話しようと思っている。
登場人物のトキが残した名言がある。
「激流を制するは静水」
以下、ニコニコ大百科から引用させていただく。
意味としては「柔よく剛を制す(柔らかくしなやかなものが、かえって強く固いものを制する。転じて、弱い者が強い者に勝つこと)」とほぼ同様。
激流に対し逆らっても飲み込まれる。よって逆に同化することにより、激流に打ち勝つという考え。
ラオウの拳が「剛の拳」にであるのに対し、トキの拳は「柔の拳」である。ただ、元々トキは柔の拳ではなく剛の拳を目指していた。これらの詳細に関しては「トキ(北斗の拳)」を参考にしてもらいたい。
整体のお客様から、「とにかく強く押してくれ」というリクエストをいただく場合がある。
思いっきり力を込めて、グイグイと押していってもなかなか満足していただけない。
こういう場合、どうするか?
この答えが、この言葉の中にある。
結論から言うが、反対に思いっきり力を抜いてしまうのだ。
鉄板のように凝り固まった、とにかく固い背中。
これを力で押していったとしても、実際には思ったほどの力は伝わっていかないもの。
腕力だけでの勝負では、人間の持つ潜在能力を最大限に発揮するということができない。
固い背中に対して、ふわふわの羽毛布団のような柔らかなイメージを持つ。
そして背中にタッチする瞬間、触れるか触れないか、繊細な世界をイメージする。
全身の力を抜いて、脱力の状態をキープしたまま、指を静かに沈めていく。
静かにゆっくりと、自分の押した力が背中の奥へと浸透していくように…。
こうすれば力をしっかりと加えていくことができる。
強く押してくれと望んでいるお客様の満足というものに近づけていくことができる。
少なくとも力だけで勝負している時よりは、はるかに高い効果が期待できるのだ。
イチロー選手の振り子打法。
こういう観点で見てみたら、どう感じるだろうか。
これこそ脱力の究極ではないかと思う。
自らの力は使わない。
自分の力ではなく、振り子、遠心力を味方につける。
脱力をしたままの状態を最後までキープしていられるからこそ、打球を最後の最後まで引きつけることができる。
そしてバットを振り抜いた直後から、1塁ベースまでのダッシュにおいて全速力でのスタートをきることができるのだ。
イチロー選手だけに限らず、ホームランを打った打者のスイングを見ていて感じることがある。
そこには力みがないのだということ。
力を込めて、力づくで、こういった印象はなく、簡単にバットを軽く振っているだけのように見える。
軽く振っているだけにも関わらず、打球はスタンドまで届いてしまう。
力を伝えるということは、こういうことではないだろうか。
私もこれについては研究中だ。
自分の理論に、これを加えたいと思って研究している。
他のジャンルの競技の選手の話なども聞いてみると、非常に興味深い。
格闘技の場合、関節技というものがある。
力で抵抗しようとすると、どんどんと関節が極まっていってしまう。
反対に脱力をする。
身体がコンニャクになったかのようなイメージで力を抜いてしまうと、不思議なことに関節は極まらなくなってくる。
ボクサーも同じ。
力が入っている時にパンチをもらうと、衝撃が思いっきり身体を襲うことになる。
ボクシングで言うカウンターというものが、これに当たる。
だから簡単に倒れてしまうのだ。
反対に脱力していれば、パンチの衝撃が身体にこもらないためダメージを軽くさせることができる。
バスケットボール界の神様、マイケル・ジョーダン。
ジョーダンがダンクを決める瞬間、舌を出している映像がある。
舌を出せるということは、身体の脱力ができているということだ。
プレー中に、きちんと力が抜けている。
人類最速の男、ボルトもそうだろう。
走っている最中、明らかに力が抜けている。
脱力ができる人間は強い。
これはスポーツだけに限ったことではない。
あらゆることに言えることである。
これについては、また機会があればもっと掘り下げてお話しようと思っている。
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